Tuesday 20 August 2013

Maida Vale

また間が空いてしまいましたが ^^; 実は今、所用でLondonに来ています。
昨日、Jimmyが最後に住んでいた場所を訪ねてみました。








Maida Valeは、Camden lockからつながるRegent's Canalを通るnarrow boatが有名で、Little Veniceと呼ばれています(ウォーターフロントだと、最近は、Southbankや東ロンドンの方が人気があるようですが)

家の写真も撮りましたが、現在の住人のprivacyを考慮し、うっpは控えます。
(Shyな私は通りからそっと撮っただけですがw)

この後、British Libraryに行って、Jimmyに関する記事を探してみたのですが、Wings離脱とか亡くなったニュースとかしか見つからず、ちょっと寂しくなってしまいました。。。

その内の1つですが、Sir Paulを始め、大勢の一流ミュージシャンがJimmyの死を悼んだという記事は、悲しいながらもお兄さんのJackの言うように、少しは慰めになるでしょうか(なお、Jimmyが亡くなったのは26歳の時です)


RIP Jimmy...

Thursday 8 August 2013

ジミーがポールにもらったギブソンのギター (ES-345)


一行目を書くのにすごく時間がかかってしまいました。
"A Gibson guitar owned by Paul who later gave it to Jimmy" ...「ポールがジミーにあげたギター」だと何かギターの有難み(?)が無いし、「ポールがジミーに贈ったギター」だと大袈裟すぎる・・・ そして日本語は「あげる」「くれる」「もらう」という特殊な授受動詞がありますが、ここはジミー・ブログなので(しょっちゅうポール礼賛するけど)、対象物(ギター)の移動先であるジミーを主体として「もらう」を用いてみました・・・って、どうでもいいですか!スミマセン m(__)m

ネットでたまたま見つけました。こんなオークションがあったのですね。

オークションのリンク先 (2012年)

このギターは2011年にもオークションに出品されたようです↓
2011年のオークションに関するサイト


ジミーが亡くなった時、お兄さんのジャック(ドラマー、このお兄さんについてもいずれ別途ポストしたいと思います)がジミーの遺品の整理をしました。 (´;ω;`)ウッ
ジミーのギターのコレクションは素晴らしいものだったようですね。
その中には、バディ・ホリー(Buddy Holly, この人もポール関連で外せない、、、てかロックの歴史では!)のために特別に作られた名前入りのフェンダー・ストラトキャスターもあったようです。

ジミーのギブソンES-345は、ジャックからアラン・モリソン(Alan Morrison)に渡りました。モリソンはジミーが最後に所属したDukesというバンドのレコーディングでsound mixを担当した人です。

1980年代にモリソンは、このギターをDekka Danseというニューウェーヴ・バンドWaltz in the Wilderness(1984)やFischer ZのReveal (1987)のアルバム録音、Jeff Healy bandのツアー等で使用しました。このJeff Healy bandは、B.B. King’s Blues Bar in Memphisのオープニングでプレイ。
この時、モリソンがB. B. Kingにもらったバッヂが、ギターのヘッドに付いています。



Imagnetized by Dekka Danse (1984)・・・この曲にJimmyのギターが使用されたかどうかは不明



B. B. King というロゴが見える

2003年、モリソンは、AberdeenのHenry McCulloghバンドのmixを担当。
そう、Henryは、Jimmyの前にWingsに在籍したリード・ギタリスト
"My Love"のソロ・パートを弾いた人です

Paulの持っていたギターに再会したヘンリーは、ギターにサインをしました。
(正直、ジミーのサインだったらどれほどよかったのにと勝手なことを考える私...w)



「ありがとう、アラン! ヘンリー 2003年8月♪」という文字が見えます

結局、このギターは、28,990GDPで落札されたようです(2012年5月のオークション)
は〜、一度でいいからこんなギター、所有してみたい・・・


ところでこの記事の原文に、名前の綴り間違いがあります:
Henry McCulloch(×)→Henry McCullogh(○)

そして下は以前うっpした写真ですが、最近気がついたのですが、こちらはジミーの名前のスペルが間違っています:
Jimmy McCullogh(×)→Jimmy McCulloch(○)



よくジミーとヘンリーに血縁関係があるのか混乱している人がいますが、現地のメディアでさえ間違えるのだから、無理もありません(血縁関係はありません)

ジミーはギブソンのギターを愛用していました
有名なのは赤いSGですが、その他にフライングVやファイヤーバードなどが容易に確認できます









これらのギターはどこへ行ったのでしょう・・・?

Saturday 3 August 2013

Why did Jimmy leave the Wings? (なぜJimmyはWingsを辞めたのか?)【その2】

前に【その1】を書いたのですが、やっと【その2】を書きます!

ジミー(Jimmy)やジョー(Joe English)がなぜWingsを去って行ったのかということは、実のところ当人達にしかわかりません
しかし当時の新聞記事やインタヴュー等で、わかる限りの状況を整理しておきたいと思います(それでも切り貼りされた記事がどこまで真実を伝えているかという疑問は勿論、残ります)

まずジミー様本人のお言葉:
「Wingsで自分は実質、スタジオで主に仕事をする雇われミュージシャンだった」




JimmyはWingsを脱退後、Small Faces再建に参加しました(この記事が出た時、既にSmall Facesも脱退)。

Rockshowを観てもわかるように、Jimmyは”My Love”, ”Maybe I’m Amazed” 等のスタジオ盤でヘンリー(Henry McCullogh)やMcCa(ポールw)が弾いたギターソロを正確に再現しつつも、ジミー自身の素晴らしい個性や魅力を表現することのできる並外れた技量と才能の持ち主でした。スタジオミュージシャンとしても大変重宝がられたと思うのですが、本人はライヴが好きだったようですね。それはポールの「ジミーは、いつもコンサート・ツアーに出てなければ満足できないたちだった」(『クロスビート』2013年7月号より:『ミュージック・ライフ』78年1月号の再録)という言葉に裏付けられます。また、ライヴよりスタジオでの録音作業を重視していたThunderclap Newmanを辞めて自分のバンドを組んだ時も、「ジミーは常にライヴを望んでいた」と書かれています



また、ポールとリンダ夫妻に長男(James)が誕生したことも、脱退の動機となったようです。「再びツアーに出るまではしばらく時間がかかると思った」(ジミー)。

これについては、ジョーの奥さんも同様のことを述べていますし(”Beatlefan”1978年12月19日創刊号 )、ポール自身、上述の『クロスビート』掲載インタヴューで「今年一杯ツアーの予定を入れなかったのはリンダに子供が生まれるということが理由だった」と述べています。

Beatlefanのジョーのインタヴュー記事は色々興味深いのですが、ジョーの奥さんは、ジミーが辞めた理由を、「ポールがバンドを自分の思う通りにしようとするので、窮屈に感じていたのではないか」と推測しています。これについて私個人は、Wingsは事実上ポールがリーダーのバンドだし、実際、ポールは大ベテランだし実力は桁外れだし、またBeatles時代から他のメンバーが遠くに住んでいてもポールはアビーロード・スタジオの隣に住んで昼夜を問わずにスタジオに出入りして、そんなポールの妥協を許さない完璧主義やワーカホリックぶりについていけない他のメンバーを辟易させたというエピソードから推測するに、本当だったかもしれないと思いつつ、ポールのそういう面が、今日まで精力的に活動し、結果を出し続けているポールの原動力だと思うと、嫌いではありません(みんなー、OUT THERE TOURのTKT買ったー?w)。

さて、当のサー・ポールは「ジミーが辞めたのは残念だけど、大分前から問題があったから、彼無しでもうまくやっていくよ」とか「(ジミーは)一緒にやって行くのは難しいところがあって、それはこの業界では知られた話」と述べています。






この「問題」とは何なのか…
それは例の薬物問題かもしれないし、ジミーからすればスタジオで何時間でもオタクっぽく仕事をする+独裁的なポールとだんだんうまく行かなくなっていたのかもしれないし、非常に若い頃から天才ギタリストとしてもてはやされベテラン達とプレイしてきたジミーの性格にクソ生意気なところがあったのかもしれません。

しかしここであからさまにジミーを批判しないところが、サー・ポールの品の良さでもあります。ポールはとことんネアカな性格の人に見えますが、見苦しい事をあまり言わない上品で賢い人(賢いブレーンがいるのかも)という印象があります(それは例のヘザー・ミルズさんとの泥沼離婚裁判の時も、ミルズさんが醜態を晒しまくったのに対し、ポールはミルズさんを気遣う発言までして、一時、英国の「好感度No.1芸能人」になった点にもよく表れていますw)

まあ、ポールがはっきり言わないせいで、「ジミーのWings脱退原因は薬物中毒」疑惑が募るわけでもありますが、しかし、当時は多くの芸人()が薬物に手を出していて、それが原因で亡くなったのはジミーだけではないし、それに私自身、ポールのように、汚いことを全て表に出す必要はないという態度を尊敬したいと思っています(あ、もしどこかではっきり言っている記事等をお持ちの方は是非、情報提供をお願いします!)

ジミー、ジョーの脱退前、5人(+ポール、リンダ、デニー)は、ヴァージン諸島の船上レコーディングを行なっていて、ポールの言葉が本当なら、そこでは皆、「本当に仲間だった」ようです。

Jimmyは、「自分は友好的に別れたし、気を悪くした人は誰もいないと思う」と述べています。

そしてポールも、「ジミーもジョーもちゃんと仕事はやり終えてからやめた」「僕はジミーとジョーがいたウィングスは最高だったと思うし、彼らの演奏力は申し分なかった」「もし僕らが今すぐコンサート・ツアーをしなければならないとしたら、僕は多分、その間だけジミーとジョーを呼び寄せるだろうけど、今のところツアーは考えてない」(前掲の『クロスビート』より)と述べているから、(ポールの上品さによる発言だとしても)、喧嘩別れというわけではないみたいだし、これらの言葉を信じたいと思います(キリリ)

ポールはまた、「ジミーはハードロックをやりたかった」とも述べています。
実力があり個性の強いメンバーばかりですから色々あったとは思いますが、ジミーは、ポールの作る明るく可愛いポップスをポールの弾いて欲しいように弾くだけではなく、アーティストとして新しい分野を開拓したかったのではないでしょうか。
Wingsファン、Paulファン、Jimmyファンとしては、Jimmyがリードギタリストとして存在した頃の、ロック色濃いWingsをもっと長く見ていたかったという気持ちはありますが・・・

今年の”ROCKSHOW”公開時の冒頭メッセージで、サー・ポールは(相変わらずリンダを褒めちぎっているのはさておきw)、「ジミーは偉大なギタリストだった」と述べていました(このmsgはDVDには収録されていない)。また今回のリマスタリングが、リンダとジミーに捧げられているのも、ファンにとっては涙がこぼれるほど感動的でうれしいことです(唯一最初から最後までWingsと運命を共にしたデニーが全くスルーなのもどうかと思うけどw)


...これはまったくの余談ですが、ジミーの誕生日は、1953年6月4日です。カバラ占い(?)ができるとかゆう友人によると、これらの数字を足したジミーの数は「1」で、これは「今を生き急ぐ人」という特徴があるそうです(本当かね〜?)。
私は理性と客観的事実を重視するタイプで、占いとかスピリチュアルなものはほとんど信じないのですが、これを言われた時、あくまで後付け的なものとして、「言い得て妙だな」と思いました。


(間接的な画像提供:今回もPaul Salley君、FBのPaul McCaとWingsのファンページ。Special Thanx!)