Tuesday, 20 August 2013

Maida Vale

また間が空いてしまいましたが ^^; 実は今、所用でLondonに来ています。
昨日、Jimmyが最後に住んでいた場所を訪ねてみました。








Maida Valeは、Camden lockからつながるRegent's Canalを通るnarrow boatが有名で、Little Veniceと呼ばれています(ウォーターフロントだと、最近は、Southbankや東ロンドンの方が人気があるようですが)

家の写真も撮りましたが、現在の住人のprivacyを考慮し、うっpは控えます。
(Shyな私は通りからそっと撮っただけですがw)

この後、British Libraryに行って、Jimmyに関する記事を探してみたのですが、Wings離脱とか亡くなったニュースとかしか見つからず、ちょっと寂しくなってしまいました。。。

その内の1つですが、Sir Paulを始め、大勢の一流ミュージシャンがJimmyの死を悼んだという記事は、悲しいながらもお兄さんのJackの言うように、少しは慰めになるでしょうか(なお、Jimmyが亡くなったのは26歳の時です)


RIP Jimmy...

Thursday, 8 August 2013

ジミーがポールにもらったギブソンのギター (ES-345)


一行目を書くのにすごく時間がかかってしまいました。
"A Gibson guitar owned by Paul who later gave it to Jimmy" ...「ポールがジミーにあげたギター」だと何かギターの有難み(?)が無いし、「ポールがジミーに贈ったギター」だと大袈裟すぎる・・・ そして日本語は「あげる」「くれる」「もらう」という特殊な授受動詞がありますが、ここはジミー・ブログなので(しょっちゅうポール礼賛するけど)、対象物(ギター)の移動先であるジミーを主体として「もらう」を用いてみました・・・って、どうでもいいですか!スミマセン m(__)m

ネットでたまたま見つけました。こんなオークションがあったのですね。

オークションのリンク先 (2012年)

このギターは2011年にもオークションに出品されたようです↓
2011年のオークションに関するサイト


ジミーが亡くなった時、お兄さんのジャック(ドラマー、このお兄さんについてもいずれ別途ポストしたいと思います)がジミーの遺品の整理をしました。 (´;ω;`)ウッ
ジミーのギターのコレクションは素晴らしいものだったようですね。
その中には、バディ・ホリー(Buddy Holly, この人もポール関連で外せない、、、てかロックの歴史では!)のために特別に作られた名前入りのフェンダー・ストラトキャスターもあったようです。

ジミーのギブソンES-345は、ジャックからアラン・モリソン(Alan Morrison)に渡りました。モリソンはジミーが最後に所属したDukesというバンドのレコーディングでsound mixを担当した人です。

1980年代にモリソンは、このギターをDekka Danseというニューウェーヴ・バンドのWaltz in the Wilderness(1984)やFischer ZのReveal (1987)のアルバム録音、Jeff Healy bandのツアー等で使用しました。このJeff Healy bandは、B.B. King’s Blues Bar in Memphisのオープニングでプレイ。
この時、モリソンがB. B. Kingにもらったバッヂが、ギターのヘッドに付いています。



Imagnetized by Dekka Danse (1984)・・・この曲にJimmyのギターが使用されたかどうかは不明



B. B. King というロゴが見える

2003年、モリソンは、AberdeenのHenry McCulloghバンドのmixを担当。
そう、Henryは、Jimmyの前にWingsに在籍したリード・ギタリスト
"My Love"のソロ・パートを弾いた人です

Paulの持っていたギターに再会したヘンリーは、ギターにサインをしました。
(正直、ジミーのサインだったらどれほどよかったのにと勝手なことを考える私...w)



「ありがとう、アラン! ヘンリー 2003年8月♪」という文字が見えます

結局、このギターは、28,990GDPで落札されたようです(2012年5月のオークション)
は〜、一度でいいからこんなギター、所有してみたい・・・


ところでこの記事の原文に、名前の綴り間違いがあります:
Henry McCulloch(×)→Henry McCullogh(○)

そして下は以前うっpした写真ですが、最近気がついたのですが、こちらはジミーの名前のスペルが間違っています:
Jimmy McCullogh(×)→Jimmy McCulloch(○)



よくジミーとヘンリーに血縁関係があるのか混乱している人がいますが、現地のメディアでさえ間違えるのだから、無理もありません(血縁関係はありません)

ジミーはギブソンのギターを愛用していました
有名なのは赤いSGですが、その他にフライングVやファイヤーバードなどが容易に確認できます









これらのギターはどこへ行ったのでしょう・・・?

Saturday, 3 August 2013

Why did Jimmy leave the Wings? (なぜJimmyはWingsを辞めたのか?)【その2】

前に【その1】を書いたのですが、やっと【その2】を書きます!

ジミー(Jimmy)やジョー(Joe English)がなぜWingsを去って行ったのかということは、実のところ当人達にしかわかりません
しかし当時の新聞記事やインタヴュー等で、わかる限りの状況を整理しておきたいと思います(それでも切り貼りされた記事がどこまで真実を伝えているかという疑問は勿論、残ります)

まずジミー様本人のお言葉:
「Wingsで自分は実質、スタジオで主に仕事をする雇われミュージシャンだった」




JimmyはWingsを脱退後、Small Faces再建に参加しました(この記事が出た時、既にSmall Facesも脱退)。

Rockshowを観てもわかるように、Jimmyは”My Love”, ”Maybe I’m Amazed” 等のスタジオ盤でヘンリー(Henry McCullogh)やMcCa(ポールw)が弾いたギターソロを正確に再現しつつも、ジミー自身の素晴らしい個性や魅力を表現することのできる並外れた技量と才能の持ち主でした。スタジオミュージシャンとしても大変重宝がられたと思うのですが、本人はライヴが好きだったようですね。それはポールの「ジミーは、いつもコンサート・ツアーに出てなければ満足できないたちだった」(『クロスビート』2013年7月号より:『ミュージック・ライフ』78年1月号の再録)という言葉に裏付けられます。また、ライヴよりスタジオでの録音作業を重視していたThunderclap Newmanを辞めて自分のバンドを組んだ時も、「ジミーは常にライヴを望んでいた」と書かれています



また、ポールとリンダ夫妻に長男(James)が誕生したことも、脱退の動機となったようです。「再びツアーに出るまではしばらく時間がかかると思った」(ジミー)。

これについては、ジョーの奥さんも同様のことを述べていますし(”Beatlefan”1978年12月19日創刊号 )、ポール自身、上述の『クロスビート』掲載インタヴューで「今年一杯ツアーの予定を入れなかったのはリンダに子供が生まれるということが理由だった」と述べています。

Beatlefanのジョーのインタヴュー記事は色々興味深いのですが、ジョーの奥さんは、ジミーが辞めた理由を、「ポールがバンドを自分の思う通りにしようとするので、窮屈に感じていたのではないか」と推測しています。これについて私個人は、Wingsは事実上ポールがリーダーのバンドだし、実際、ポールは大ベテランだし実力は桁外れだし、またBeatles時代から他のメンバーが遠くに住んでいてもポールはアビーロード・スタジオの隣に住んで昼夜を問わずにスタジオに出入りして、そんなポールの妥協を許さない完璧主義やワーカホリックぶりについていけない他のメンバーを辟易させたというエピソードから推測するに、本当だったかもしれないと思いつつ、ポールのそういう面が、今日まで精力的に活動し、結果を出し続けているポールの原動力だと思うと、嫌いではありません(みんなー、OUT THERE TOURのTKT買ったー?w)。

さて、当のサー・ポールは「ジミーが辞めたのは残念だけど、大分前から問題があったから、彼無しでもうまくやっていくよ」とか「(ジミーは)一緒にやって行くのは難しいところがあって、それはこの業界では知られた話」と述べています。






この「問題」とは何なのか…
それは例の薬物問題かもしれないし、ジミーからすればスタジオで何時間でもオタクっぽく仕事をする+独裁的なポールとだんだんうまく行かなくなっていたのかもしれないし、非常に若い頃から天才ギタリストとしてもてはやされベテラン達とプレイしてきたジミーの性格にクソ生意気なところがあったのかもしれません。

しかしここであからさまにジミーを批判しないところが、サー・ポールの品の良さでもあります。ポールはとことんネアカな性格の人に見えますが、見苦しい事をあまり言わない上品で賢い人(賢いブレーンがいるのかも)という印象があります(それは例のヘザー・ミルズさんとの泥沼離婚裁判の時も、ミルズさんが醜態を晒しまくったのに対し、ポールはミルズさんを気遣う発言までして、一時、英国の「好感度No.1芸能人」になった点にもよく表れていますw)

まあ、ポールがはっきり言わないせいで、「ジミーのWings脱退原因は薬物中毒」疑惑が募るわけでもありますが、しかし、当時は多くの芸人()が薬物に手を出していて、それが原因で亡くなったのはジミーだけではないし、それに私自身、ポールのように、汚いことを全て表に出す必要はないという態度を尊敬したいと思っています(あ、もしどこかではっきり言っている記事等をお持ちの方は是非、情報提供をお願いします!)

ジミー、ジョーの脱退前、5人(+ポール、リンダ、デニー)は、ヴァージン諸島の船上レコーディングを行なっていて、ポールの言葉が本当なら、そこでは皆、「本当に仲間だった」ようです。

Jimmyは、「自分は友好的に別れたし、気を悪くした人は誰もいないと思う」と述べています。

そしてポールも、「ジミーもジョーもちゃんと仕事はやり終えてからやめた」「僕はジミーとジョーがいたウィングスは最高だったと思うし、彼らの演奏力は申し分なかった」「もし僕らが今すぐコンサート・ツアーをしなければならないとしたら、僕は多分、その間だけジミーとジョーを呼び寄せるだろうけど、今のところツアーは考えてない」(前掲の『クロスビート』より)と述べているから、(ポールの上品さによる発言だとしても)、喧嘩別れというわけではないみたいだし、これらの言葉を信じたいと思います(キリリ)

ポールはまた、「ジミーはハードロックをやりたかった」とも述べています。
実力があり個性の強いメンバーばかりですから色々あったとは思いますが、ジミーは、ポールの作る明るく可愛いポップスをポールの弾いて欲しいように弾くだけではなく、アーティストとして新しい分野を開拓したかったのではないでしょうか。
Wingsファン、Paulファン、Jimmyファンとしては、Jimmyがリードギタリストとして存在した頃の、ロック色濃いWingsをもっと長く見ていたかったという気持ちはありますが・・・

今年の”ROCKSHOW”公開時の冒頭メッセージで、サー・ポールは(相変わらずリンダを褒めちぎっているのはさておきw)、「ジミーは偉大なギタリストだった」と述べていました(このmsgはDVDには収録されていない)。また今回のリマスタリングが、リンダとジミーに捧げられているのも、ファンにとっては涙がこぼれるほど感動的でうれしいことです(唯一最初から最後までWingsと運命を共にしたデニーが全くスルーなのもどうかと思うけどw)


...これはまったくの余談ですが、ジミーの誕生日は、1953年6月4日です。カバラ占い(?)ができるとかゆう友人によると、これらの数字を足したジミーの数は「1」で、これは「今を生き急ぐ人」という特徴があるそうです(本当かね〜?)。
私は理性と客観的事実を重視するタイプで、占いとかスピリチュアルなものはほとんど信じないのですが、これを言われた時、あくまで後付け的なものとして、「言い得て妙だな」と思いました。


(間接的な画像提供:今回もPaul Salley君、FBのPaul McCaとWingsのファンページ。Special Thanx!)

Sunday, 28 July 2013

今日の一枚w


スコットランドの伝統的な民族衣装でコスプレ(?)をするジミーw
ジミーはグラスゴー出身のScottishです。

Mc...で始まる名前は大抵、ScottishかIrishの人です。
Mac...やO'...の方がIrishに多いと書いているのを見たことがありますが、PaulはMcCartneyでIrishでしたよね


Paulがバグパイプを吹いている上の写真、ネットで販売されており、左のクレジットは、Jimmy McCullochになっていますが、これはDenny Laineの間違いだそうです。
解像度が低いのでわかりにくいですが、Paul > Denny > Jimmy > Paul... って、何となく少しずつ顔が似ている気がします。皆、タレ目だしw


Wingsのライヴで。皆でハイランドの衣装を来ています ^ ^ 法被みたいなジャケットは何なんでしょうね?

Friday, 26 July 2013

In-between Thunderclap Newman and Stone the Crows
(余力のあるうちになるべくうpするw)

Jimmyは、Thunderclap Newman解散後、Crowsに加入する前、あのジョン・メイオール(John Mayall)のドイツ・ツアーに3週間、ギタリストとして参加しました(1971年)。
つべのコメを読むと、当然ながらこのline-upは英国でもライヴを行なっていた模様。
当時の音源が、うpされています(これもPaul Salley君ですがw)

John Mayall October 7th, 1971 (←大きすぎるのか貼れないのでリンクにします)

Something in the Air の、のびのびして豊かな音色でゴージャスに弾いているJimmyのgも大好きですが、Crowsの時のブルージーなプレイとは随分違うなぁと思ったものです。
これはもうCrowsの時の音ですね

ジョン・メイオールの率いたThe Bluesbreakersというバンドは、Rolling StonesのMick Taylorを始め、優秀なギタリストを多く排出し、「ジョン・メイオール学校(The John Mayall School)」と呼ばれたりします(*英語の"school"は「〜派」という意味もありますが、多くの日本語のサイトで「学校」と訳されています。この言葉を使った英語原文は読んでいないので未確認)。
Jimmyも影響を受けたのでしょうか?

Mayallのバンドには、エリック・クラプトン(Eric Clapton)も参加していたことがあります(1965-?)。高度なテクニック、ブルージーな演奏、Gibsonのギターを愛用するなど、クラプトンとJimmyには多くの共通点が擧げられます。


John Mayall(いつだ?!)


うぷぷ。


Jimmy in-between Crows and Blue


関連記事もう一個、うpしておきます。このJimmy、なんかヤバい... 

マギーさんが脱退して数週間後にJimmyも辞めてしまった(赤枠)ということは、バンドとしてもはや機能しなくなっていたのでしょうか?

Thursday, 25 July 2013

お久しぶりです、管理人です。
私がいない間にコピーロボのうpしたリンダとジミーの写真が、「入学式のヤクザ父さんと娘」みたいなんですけど。。。

...それはともかく更新ストップしていて申し訳ありませんでした。
ここ数週、限界に挑んでいましたが、毎日"Wings over America"を聴いていたせいで、何とか猛暑を乗り切ることができました。「養われる英気は計り知れない」というレココレの解説を、図らずも立証してしまたわけですw

さてまた自分の備忘録みたいなもので申し訳ないのですが
以前、Stone the Crowsについてのポストで、"McCulloch joins Blue. Stone ends"という記事を見た、と書きましたが、その記事やっと見つけました(相変わらず、Paul Salleyさんのフォルダからだと思う。。。このブログはPaulさんに寄生して生きているようなものです。ありがとう、Paul!)



 "McCulloch joins Blue: Crows end"(...微妙に違いましたねw)
この記事の詳細な情報(紙名と発行年月日)が欲しいです(Paulさんに聞かないとw)

この記事によると、先に辞めたのはマギーさんですね(他の記事でもそう書かれていました)。「ソロキャリアを追求するために」と言うことですが、よくわからないのは、彼女はシンガーなので、バックで演奏してくれるバンドが絶対に必要だと思うのですが、カラスの皆さんではどうしてダメだったのでしょう。演奏技術では他の追随を許さない程レベルの高いバンドだと思うのですが。脱退後、ギターかピアノの弾き語りでもしていたのでしょうか??

...と思ってマギーさんをggったら、何と彼女のWikiは英独仏の他に、日本語と、ロシア語・ハンガリー語・ウクライナ語で書かれているんですね!(どおゆう需要なんだ?)
Crows(”Stone”だとRolling Stonesと混乱しやすく紛らわしいので、以降、Crowsにします)脱退後は、ロッド・スチュワートのアルバムに参加したり、ケン・ラッセル監督の映画"Crimes of Passion"の主題歌を歌ったりしていたようです。

続いてJimmyがthe Blueに加入するために脱退し、これによりCrowsの消滅は決定的なものになりました。

ところで後にJimmyが最後に所属したバンド、the Dukesを結成(加盟?)した時、CrowsのkeyのRonnie Leahyも参加しているし(この人もめっさ上手くて舌を巻きますが、Wikiったら、英、葡、フィンランド語というこれもよくわからない需要w)、同じくCrowsのdrumsのColin Allenとは、WingsのJimmyのソロ曲”Medicine Jar”と”Wino Junco”を一緒に書いているし(ところでこの曲の内容はJimmyの「破滅的人生」<reversed comma!>と結びつけられがちですが、一応クレジットとしては、歌詞を書いたのはColinで、Jimmyは作曲担当)、Roger Daltreyのソロアルバムでもギターを弾いているから、Pete Townshendとの関係も、Thunderclap Newman解散後も続いていたのだろうし、the Dukesがスコットランドでライヴをした時、the Blue(その時のメンバーは?【要加筆】)が前座を務めていたそうなので(ソースはfbのPaulさんのポストへの書き込み)、Jimmyは所属して辞めたバンドの人達とわりと良好な関係を保っていたか、純粋にミュージシャンとして互いにプロフェッショナルな態度を貫いていたのではないか、というのが私の率直な印象です。あくまで私の印象&推測ですが。

なんかゴチャゴチャしてきたので、いずれ年表を作って整理して、うpしようと思います(←早くやれ!)

オマケ。上の記事の写真と同じ時に撮られたと思われるもの。何だこのサングラスはw
まぁ、Jimmyなら目をつぶっていても弾けると思いますが。



Monday, 22 July 2013

管理人 on the RUN. 
コンニチワ、コピーロボデス 
管理人はまだ逃亡中で、ウサギらと逃げており、広場のベルは鳴り放しデスw
ワタシも代理で色々なところに駆り出されており、Blogが更新できていなくて申し訳ありません
このBlogがまだ死んでいないことを明らかにするために、またPaulさんのフォルダからの横流しだと思いますが、Thunderclap Newmanの頃のラブリー♡な写真をうpします

 
管理人も間もなく上のJimmyのようになる予定デス m(__)m

Monday, 15 July 2013

コンニチワ、再びコピーロボです。Blogの管理人は未だ逃亡中なので、また私がPaul Salleyさんfbうっpのフォトを横流ししますw


カンリニンは間もなく戻って来るので、もう少々お待ち下さい(もし待っている方があればw)

Friday, 12 July 2013

ブログの管理人は今週、限界に挑戦しているので、代わりに私がお気に入りの写真を一枚だけうっpしておきますw 私はコピーロボです(K Usagaさん、ネタもらってスマソw)


Jimmyってタレ目だよね。。。

(管理人は来週こそBlogを更新します。「ネタはあるんだネタは。。。」と言っています。読みたい人がいるかどうかはともかくw)

Sunday, 7 July 2013

Hollywood Dream

またPaul Salleyさんのうっpをshareさせて頂きます。時間無くてオリジナルのBlog書くのサボっていてごめんなさい。。。(サボっているわけではないのだが)

Jimmyのイカしたギタープレイ(←Thunderclap Newmanの時の)

早熟すぎるぜ、Jimmy...



1975年頃のJimmy... (リンクだけでは淋しいので写真も引っ張ってきてみたw)

Friday, 5 July 2013

Heartbreaker by The Dukes

一日一うっpとまでは行かなくても、せめて1 UPLOAD A WEEKでガンバル!w



Arguably, Jimmyの最後の録音(のひとつ?)です 
80年代ハードロック、という感じのサウンドですが、やっぱりJimmyのギターですネ。。。
Jimmyは1970年代の最後の年に亡くなってしまいましたが、80年代も生きていたら、どんな曲で演奏していたのでしょうか。。。(しんみり)

Stone the Crows - Live - Paris Bataclan 25 10 1972



書きたいことは心の中にいっぱい溜まっているのですが、今週は時間がなかた。。。
一日一膳、、、じゃなくて(善またはZEN)、一日一うっp目指してがんばるw

Tuesday, 2 July 2013

Fairly Lights by Bent Frame



Jimmyらしい歯切れのいいギターリフ。。。

Bent Frame(後にJimmy McCulloch Bandに改名) は、JimmyがStoneに入る前のバンド(1971年頃。Jimmyは1972年2月にStoneに加入)。

Gypsy Rug by Bent Frame (←昨晩、Paul SalleyさんがFacebookにうっpしてたもの)

(一昨日からBlog更新できないとか焦った!Googleさん、最近色々怪しすぎる。。。)

Saturday, 29 June 2013

"Something in the Air" by Thunderclap Newman

"Something in the Air" by Thunderclap Newman 



こ、子供がリードギター弾いてる〜!!と思ったら、、、15歳のJimmyでしたwww

The Whoのプロデューサー兼マネージャーだったKit LambertとPete Thounshendが仕掛人となり、1968年末(または1969年初頭)に結成されたバンド。コアメンバーは、Jimmy、John "Speedy" Keen (vo.)、Andy "Thunderclap" Newman (piano)。
上のビデオでdrumsを叩いているのは、Jimmyの実のお兄さんのJack McCullochですね。
色々謎なんですけど、Bass guitarはJames "Jim" Pitman-Averyでいいのだろうか・・・?【要確認】

(K Usagaさん、すみません、私は名前を色々混同していました。Peteはスタジオ録音ではbassを弾いてるらしいのですが、ビデオ等には登場していない模様! >< )

Keenが、ピーター・セラーズの映画"The Magic Chrisitan"(1969)(この映画にはリンゴ・スターも出演しています!)のために作曲したもので、『いちご白書』でも使用されているらしい。




下のビデオを見たK Hitomi先生に「『いちご白書』を思い出した」を言われ、昔見たけど全然覚えていないので、TSUTAYAに借りに行ったら・・・VHSしか無いではありませんか!!!www DVD化はされていない模様w

この曲は全英でNo.1になり、Jimmyは「全英でNo.1になった曲でリードギターを弾いた最年少のギタリスト」というビミョーな称号を得ましたw
Stoneの時のようなヴィルトゥオーゾではありませんが、気持ち良さそうに弾いています(聞いてる方が気持ちいいのかw)。個人的には@2:54〜3:03辺りが好きです。その後はvo.と同じフレーズを高音で弾いています。その直前のAndyのピアノがあまり好きではないのですが、その辺が「サイケデリック」なんですかね〜?途中、ホーンやストリングスの音も聞こえます。

当初はズバリ"Revolution"というタイトルだったのですが、当時、The Beatlesの"Revolution"が既に発表されていたので、この名前になったそうです。
日本語のタイトルは『革命ロック』(www)です。うぷぷ。

明るい高揚感があって、いい曲ですよね。(Wikiには「一発屋」と書かれていますが。。。)

"Something in the air" ー日本語ではどう訳されていたんでしょうか。手元に資料がありません。

ちょっと無理矢理っぽいけど、私はドストエフスキーの日記の以下の一節を思い出しました:

「思想は宙を飛び交うが,常に法則に従う。思想は生きており,我々が捉えるにはあまりに困難な法則によって広まる。思想は伝染する。はたして御存じだろうか,高い教養があり成熟した知性にのみ到達できる思想の中には,生活全般の空気の中で粗野で何事も気にかけないような人に突然伝わり,その人の精神を突然感化してしまうものがあることを。」(拙訳)

ドストエフスキーは自殺と青年について述べているのですが、KeenかPeteがどこかでこれを読んだのではないかと気になりました。(どこかにそういうこと書かれているのを見た方はお知らせ下さい。)

余談ですが、このblogのstatsを見たら、日本、英国、米国に次いで、なぜかロシアからのアクセスが第4位www Спасибо!
サービス(?)で原文も載っけとくw


"Идеи летают в воздухе, но непременно по законам; идеи живут и распространяются по законам, слишком трудно для нас уловимым; идеи заразительны, и знаете ли вы, что в общем настроении жизни иная идея, иная забота или тоска, доступная лишь высокообразованному и развитому уму, может вдруг передаться почти малограмотному существу, грубому и ни об чем никогда не заботившемуся, и вдруг заразить его душу своим влиянием?" (Достоевский, Ф.М. Кое-что о молодёжи. Дневник Писателя. Декабрь 1876.)

...なんか著しく逸脱した気がしますが、上のビデオでJimmyが着てるのはこれですよね。
 


ドロンパTシャツ欲しいですw



この頃、米国独立200周年を控え(1976年)、stars&stripesが流行っていたのでしょうか?(E Numataさん談。)そういえば "The Rockshow"でも、"Let'em in"の最後でDennyが"Happy Birthday, America!"と言っているのが聞こえます(どうでもいいけどこの曲の始まりって、始業のチャイムですよね、日本人にとては。Big Benではなくw)。 

(話を本題に戻すよ。。。)



"Something in the Air"のもう一つのpromo video。
ここでdrumsを叩いているのは、Roger Feliceでいいのかな?【要確認】
当時の英国の風俗が現れていて楽しいです。
@2:40の犬カワユスw

上のビデオでJimmyが着ているジャケットに似てる↓(outfits神経衰弱w)




Thunderclap Newman 1969 Video EP(←こちらのビデオではKeenがdrumsを叩いているのがちょっと見られます)

...以下オマケw







Thursday, 27 June 2013


Stone the Crows: Live at the 1973 Golden Rose of Montreux Festival

18分ヴァージョン(←Cliquez!)

Stone解散直前、1973年のコンサートです。
先に辞めたのは、マギーさんなのかジミーなのか。。。

(個人的にすっごくツボなのは、このマギーさんのような化粧、髪、セーター、体型のおばさんが、ロシアに沢山いることですw)

Wingsの楽屋を訪れたPeter Frampton(とBob Mayo -右)と。


ピーター・フランプトンは、スティーヴ・マリオットの盟友(共にHumble Pieを結成した)。
この辺に、JimmyのSmall Faces再建工事参加の秘密が?と思ったり。。。

Wednesday, 26 June 2013

Why did Jimmy leave the Wings? (なぜJimmyはWingsを辞めたのか?)【その1】

(いきなりヤバい所に足を突っ込んでしまった気がします 汗)
"Rockshow"の頃のWingsのラインナップを最高と言うファンは多いと思います。
Paul、Denny、Jimmy、Joe English... 

...あれ、リンダは?
いいんです(キリッ リンダは「音楽演奏のためではなくポールのお守りとして」舞台の上にいるんで(『クロスビート』2013年7月号)w 「シーサー的なもの」なんで(K Usagaさん)w

よく言われるのがJimmyの薬物問題です。
Jimmyのヤク中が酷くて手を焼いたPaulが、Jimmyを解雇したとか、Small FacesのSteve Marriotに電話して、"You may have Jimmy.(Jimmyを持ってっていい)"と言ったとか。

何せ亡くなり方が亡くなり方でしたから。。。
ものすごく痩せてるし。。。
そしてWingsのソロ曲がソロ曲ですから。。。



"Medicine Jar"(ヤク中の歌♪)



"Wino Junko" (アル中の歌♪)

(私の感想などどーでもいいことですが、正直、実はワタクシこの手の昭和のGS的な曲が苦手です。それなのに、Jimmyのギターソロにはなぜか惹き付けられてやみません。。。Wino Junkoはなんだか哀しい曲ですネ。。。)

そして...
Wings Over Australia(←WingsのMelbourne公演。音と映像ひどすぎw ...最初の方だけ日本語の字幕がついているのですが、これが1975年11月30日19:30-20-:55にTBS系で放映されたWings特番でしょうか?【要確認】 ...しかしPaulの法被のような衣装と、Jimmyの袈裟のような赤い上下は何ですか...?)

これは私の主観的観測に過ぎませんが、Live and Let DieのあたりからJimmyがどんどん変になって行くように見えます。"Rockshow"ではあんなに黙々と弾いていたのに。。。Paul兄やDenny兄もハラハラしているように見えます。これはやはり途中でアッパー系のをやってしまったのではないか。。。ソロパート以外ほとんど弾いてないじゃないか。最後までちゃんと弾けるのか見ていて心配になってしまいました。(それでも自分のソロパートは寝てても弾ける感じです。さすがですw)




(今回のRemastering DLX版についていたオマケより。カッコいいですねw)

う、後ろのタブレットは。。。
い、いや、これは"Medicine Jar"の歌に合わせてあしらったもので。。。

...我々はどうしてもこのようなアイテムをJimmyの死と結びつけてしまいます。

しかし!
私の調査不足かもしれませんが、「Jimmyは薬物依存が原因でWingsを去った」というhypothesisについて、私自身は今のところ、国内外のファンの方か音楽誌のライターが書かれているものしか見たことがありません。私はこれを否定するだけの材料を持っているわけではありません。しかしせめてWingsメンバー当人か、彼らを直接知っている人の証言が欲しいところです(上であんだけ書いといて、アンタ!)。もしお持ちの方がいらしたら、是非、shareして頂けませんか?

そこで次回(【その2】で)は私の持っている、Jimmy、Paul、Joeのインタビュー記事から、この問題を検証して行きたいと思います。
これが私が今、書き溜めているpostです(筆、遅〜っ)

(何だか私もWino Junkoみたいになってきたし、夜中だし、あと2時間で起きて仕事行かなかんし、変な文章でスミマセソ。明日あらためて校正したいと思います。)

...オマケw





(『レコードコレクター』2013年6月号の「ウィングス・ファンにとっては盆と正月がいっぺんに来たようなもので、出費はたいへんだが養われる活力や英気の大きさは計り知れない」という文句に乗せられ、Super DLX Edition 買ったったーw)