今日は10月にちなんだ一枚をお届けします(イミフ)
Melody Maker, 23 Oct, 1971, pg:25
Chris Welchという人が、18歳のジミーにインタヴューしています。
Thunderclap Newmanが解散し、John Mayallバンドのツアーに参加し、お兄さんのJackらと共にBent Frameという自分のバンドを結成した頃ですネ。
このバンドは後にJimmy McCulloch Bandに改名を余儀なくされるのですが・・・
One in a Millionが経済的な理由で存続が難しくなり、12歳の時やって来たロンドンでJimmy達が最初に暮らしたのは瀬戸物屋(陶器屋)の上。寝袋で寝たり、やかまし過ぎると言われたり、スコットランド人だから差別されたりして大変だったんデスネ
(記事は前後するので時系列に流れを整理すると、ロンドンにやって来たJimmyはピート・タウンゼント(Pete Townshend)に誘われ、Thunderclap Newmanに参加。"Something in the Air"がヒットするものの、バンドはアルバム一枚だけ出して解散。Jimmyはお兄さんのJackと共にBent Frameを結成。そうこうしているうちにジョン・メイオール(John Mayall)から声がかかりツアーに同行します。)
(記事は前後するので時系列に流れを整理すると、ロンドンにやって来たJimmyはピート・タウンゼント(Pete Townshend)に誘われ、Thunderclap Newmanに参加。"Something in the Air"がヒットするものの、バンドはアルバム一枚だけ出して解散。Jimmyはお兄さんのJackと共にBent Frameを結成。そうこうしているうちにジョン・メイオール(John Mayall)から声がかかりツアーに同行します。)
John Mayall bandでのジミーのギター・プレイは高く評価されています
Jimmy自身も「転機(break)になった」と言っています
ジミヘン(Jimi Hendrix)のマネージャーでThe AnimalsのベーシストでもあったChas ChandlerがジミーをMayallに推薦したというのは興味深いです。ジミヘンはジミーの憧れのギタリストですから。
ジミーが「素晴らしいベーシスト」と言っているLarry Taylorは、The Monkees, Jerry Lee Lewis、後にはTom Waitsともプレイしています
↑1971年10月7日コペンハーゲンでのJohn Mayall bandの78分ものツアー・オーディオがつべにうpされています!ありがとう、ありがとう〜!
Bent Frame(お兄さんのJackの命名)のメンバー募集は、Melody Maker紙に広告を出したようです
ファンから沢山電話がかかってきそう。。。
実際、200本のコールがあったと。
JimmyとJack以外で、最終的に決まったBent Frameのメンバー:
Nigel Baker (drums)
Robbie Patterson (rhythm guitar&voclas)
Barry Smith (bass)
デビュー公演はRoundhouse(London)で10月31日に。
今ではJimmyのスタイルは、基本「ブルース+ハードロック」でいいのではないかと思いますが、Jimmyは自分のスタイルは(ブルースより)もっとmodernだと言っています。
しかしJohn Mayall band以前はブルース・バンドで弾いたことがなかったと言っているし、その経験が自分の方向性を見つけるのに役立ったそうなので、John Mayallの影響は本当に大きかったんですね
さて、子供時代のジミーはソロ・アーティストを目指していたようですが、自分の歌唱力が十分ではないことを本人も認めています
ほんと、ロックやポップスの世界では、いくら楽器がうまくても、歌が歌える+曲が良い、またはそういう条件を満たしているバンドにいないと、難しいですね。。。
Pete Townshendと再会したのは、LondonのDenmark Streetでした
ここはtubeのTottenham Court Rd駅の近くで、ギターショップやライヴハウスなどが多くあるところです♪
別の記事(Melody Maker, 2 September, 1972)によると、2人が会ったのは、Tin Pan Alleyというお店。ご興味のある方は、Google mapでggってみて下さい。今も載っています。近くには、12 Bar Clubなんていうバーもあって興味深いです(12 Barはブルースの基本的なコード進行。4小節×3=12小節。上の記事でJimmyは「リハでは8 Bar(=4×2)しかやっていなかった」と言っています。上の録音でも数えてみると聴き取れるでしょう♪)
これも別記事からですが、11歳にならないジミーが最初に手にしたギターは、Harmonyという会社のギターだったようです
本人はしばしば、本格的なギターのレッスンを受けたことはないと言っていますが、ジミーは音楽一家の出身(お父さんはトランペット奏者、おじいさんは無声映画のピアニスト)で、音楽の素養には十分恵まれていたと思います
レッスンは受けていないけど、自分でコード本を手に入れ、スケールを覚え、練習に励んだようです
またまた別記事(Melody Maker, 4 November, 1972)からですが、ジミーのギター教本は、"The Ivor Mairants Book of Exercises"という本だそうです
ちょっとggったら、ギタリストのIvor Mariants氏が創立した"Ivor Mariants Musicenter"という会社は今も、LondonのTottenham Court Rd.駅の近くにあるようですね
んー、downloadもできるみたい・・・?
Jimmyは「練習はとても大事」と言っています
そうなんです、「天才」と呼ばれる人達は、本当はすごく練習しているんデスヨネ・・・
記事はマイクロフィルムからのコピーなので写真がちょっとひどかったデスネ・・・
多分、本当はこんな感じと思います
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